8.30.2015

8月まとめ


8月もあと1日ですね。しかし祈りの季節は続きます。

毎晩寝る前に、太平洋戦争で最初の玉砕の島となったアッツ島で戦死した大叔父に、お白湯を捧げ、語りかける習慣が半年ほど続いています。何事も長続きしない性ですが、これだけは1日も欠かさず行っています。
亡くなった年齢が今の私とほぼ同じですから、お兄さんと呼びかけるようにしています。そのお兄さんの存在自体を知ったのは、恥ずかしながらここ数年のことです。戦場へ赴き、決死の覚悟で帰還した祖父や、その後並々ならぬ苦労を重ねてきた祖母から戦争体験談を聞くことは容易いことではなく、戦後直後に生まれた父ですら、祖父母の周りには聞きにくい空気が常に立ち込めていたと言っていました。

私の親戚の中には、戦争が直接の原因で落命した人が何人かいますが、アッツ島で戦死したお兄さんだけは、未だに遺骨が還らず、たったひとりぼっちで北極に近い凍土の中で、何十年も故郷の香を嗅ぐことを待ちわびています。家族の為に命を散らした自分が、一番褒めて欲しい家族に忘れ去られる。。それが何よりも辛いことでしょう。お兄さん、あなたの高尚な勇気は、私が責任を持って子や孫に伝えていきます。

実は、8月15日の朝に、何かの手違いでたまたま朝日新聞の朝刊が郵便受けに入っていたので読んでみました。するとびっくり。どこかの宗教新聞か地方紙じゃないかという位一面的な解釈による記述ばかりでした。
ほんの小さな枠で、70年談話や日本を肯定的にみた読者の声も載せていましたが、偏向との批判から言い逃れる為の細工としか思えませんでした。各新聞社にそれぞれの持論があり、それに同調する読者を囲い込むというやり口は別にいいと思うんです。ただ、その際は「公平」という看板は降ろして頂きたい。公平を装いながら、記者の主観で結論ありきで記事を書く手法はいい加減やめたらどうですか?

一番残念だったことは、日本の戦争責任や現政権に対して手厳しく言及していたにもかかわらず、戦時中、戦意高揚報道を繰り返して部数を伸ばし、ホラ話をでっちあげ、国益や人の命を軽んじ続けてきた自社の戦争責任はなぜ問わないのかということです。マスメディアがどうこうではなく、人としてのあり方に疑念を抱かざるを得ません。

私は、所謂安倍首相や談話を賞賛したり、当時の日本を美化しようとする立場の人間ではありませんし、日本に大きな非が幾つもあったことは、火を見るよりも明らかです。しかし、伝えるべきをあまりに伝えてなさすぎやしませんか?私たちのおじいさん達は、みな卑怯でならず者で残虐性に満ちた兵士だったのですか?そのように信ずるのなら、どうぞ墓石の前で故人に直接そう語りかけてくださいな。

来る9月2日は正式に太平洋戦争が終了した日であり、そして日本が降伏文書に従い武装解除し、アメリカの占領が始まった日でもあります。祈りと感謝の気持ちを忘れず、9月も過ごしていきたいと思います。



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