昨日、今日の2日間で東日本大震災に関する二冊の本を読んだ。途中、あまりの悲惨さに何度も涙で目が霞み、中断しては深く深呼吸し、恐る恐る読み進めていくことを繰り返しながらなんとか読み切った。まだ頭も心も混乱状態でしどろもどろの文面になるとは思うが、私なりの想いをここに綴ることにする。
今回読んだ本は、「震災死 吉田典史 著」、そして「遺体 石井光太 著」である。今月の11日に東日本大震災から3年目を迎えたわけだが、これまでになかった心境の変化が私自身にあった。
3年前のあの日、私は大阪でバイトを2つ掛け持ちながら音楽活動を行い、パンばかりを頬張るその日暮らしの貧乏生活をしていた。震災の被害を間接的にすら被ることなく済んだ私は、あの時誰もが強く感じた様に、「何かしなければいけない」という気持ちに揺り動かされていた。しかし、あの頃の私はただただ途方に暮れて、多少なりとも成果の見える意義ある行動を何一つとることが出来なかった。その理由の根底となる大きな出来事が過去にあったからだ。
イラク戦争が勃発した年、私は高校生で日々部活動の剣道の稽古に明け暮れていた。あの戦争には専ら反対で、私に音楽という宝物のような贈り物を与えてくれたアメリカという国に、初めて心底絶望した瞬間だった。当時思い付く限りの行動をとったつもりだが、強い虚無感にうちひしがれる結果に終わった。こんな一ミリの影響力も持たない日本の高校生の自分が自らやれることを探し行動に移したとしても、結果的に、「とりあえず周りの高校生よりも何かした」という自己満足で終わってしまったことが、ずっと尾を引いていたのだ。それ以後、影響力のある人間になる。本当に意味ある結果を導ける人間になると心に決めた。
その出来事が私に大きな影響を与え、3年前の私はまだ立ち尽くすことしか出来ないままだった。しばらくはTVで刻々と変わる被災地の現状を追っていたのだが、元々TV番組を一切見ない生活をしていたこともあり、次第に震災に関する思考が止まり、距離を置いていくようになった。
3年目を迎えた今、私の生活は当時と大きく変わった。1つは結婚し、自分の命がもはや自分のものだけではなくなったと感じていること。もう1つは、地域なり国なり、スケールを広げれば世界をも変える人間になるんだと、イラク戦争の時に強く願った夢や願望が、決意に変わったということだ。今の私はまだまだ無力であり、時たま透明人間にすら思える時がある。このブログだって、一体何人の人が読むのかは分からないし、そもそも自分の記録の為に書いている部分が大きい。でも、私の時に厄介にも思える感受性の強さを武器にすることが出来るとすれば、どんなに些細な出来事であっても、そこから拾い得た気付きや、あらゆる角度から見た物事の行く末をきちんと言葉にして残すこと、発信していくことだと信じている。
3周忌を迎えた3月11日、私の周りの数人が、この日は皆で亡くなられた方々に想いを馳せましょうとか、忘れずに継承していきましょうとか、半ば押し付けのように不特定多数に呼びかけたりメールをしているのを目にし、違和感を覚えた。
かく言う自分は、あの震災からの教訓、無念の死を遂げた方々からの声無きメッセージをきちんと受容してこなかったうちの一人だ。外国人の友人からは原発問題ばかりを挙げられ、一度も津波被害に触れられず、この様にして世界中の人々の記憶から薄れて行くのかと、悔しさがこみ上げた。また、コントロールが入り客観的な視点での番組放送がなされなかったり、ご遺族や視聴者に配慮してなのだろうが、現場の真実を伝えきれないメディアへの苛立もあった。
2万人の死者が出て、大半の死因は溺死だったと聞くと、多くの人は、自分もそうであったようにそれ以上の想像力を働かすことをしないのではないかと思う。2万人という途方も無い死者数を単に数として見なし、水死体を目にしたことがない人からすれば、一体どのような姿で亡くなったのか・・・というところまでは腰が引けて考えが及ばないだろう。
本を読み進めていくとどんどん明らかになるのだが、津波の人体に対する破壊力は相当に凄まじかったのだ。船や車、家までもがあのように原型をとどめないひしゃげた形に圧し潰されるのだから、人が漂流している中を無数の瓦礫が巨大な力となって時速40キロ近くで移動するとなれば、それらが全て強固で鋭利な突起物となり、人間の体にどの様なダメージを与えるかは、容易に想像が出来る。また、水中に長い間漂流すると、人間の体は性別も、目鼻の区別すらつかなくなるほど変形し、真っ白に変色し、魚に食われていずれバラバラになるのだそうだ。
そのような姿が大切な家族の最期となった遺族は、一体どんな心情だっただろうか。否が応でも親族の代表の誰かが、遺体確認の為に目にしなければならない。そしてその姿を忘れることは、きっと一生出来ないだろう。今回は犠牲者が余りにも多く、行方が分からなかった家族をようやく見つけ出した頃には遺体の腐敗が進んでしまっていたり、時間の経過に伴って遺体の損傷が激しくなるケースが多かった。TVインタビューでは「見つかっただけましです」と気丈に微笑んでみせる遺族の方々でも、カメラが回る前には、他人と判別出来ない程変わり果てた家族の姿を目にしている人が数多くいる。きっと何万人といるのだろう。更に未だ家族が行方不明である遺族は、起きたことを事実として受け止めることが出来ず、止まらない時間の流れと、なかなか前へ歩みだせない心の葛藤から、生きることに対して消極的になり、ひたすら焦燥感を募らせていったのではないだろうか。
直後に、被災地以外に住む者が復興、復興!と各地で声をあげ始めたが、被災地にとり残された人々は、どれだけ心許なかったであろうか。
これほどまでに甚大な被害と犠牲者が出たからには、綿密な検証を行うことが必須となるわけだが、大きく見て、やはり「避難の遅れ」に犠牲者拡大の要因があったようだ。
これには意表を突かれたのだが、生き残った人々の証言によると、日頃から定期的に行われていた中途半端な避難訓練の"慣れ"が災いとなった、というものだった。幾度となく地震の後に津波警報が発令されても、実際には津波はやって来なかったという経験からの過信。今回も大丈夫だろうと油断し、イソップ物語の狼少年のような結果を招いてしまったというのだ。これは、日本中の国民が釘を刺されたような気持ちになるのではないか。義務教育中、どれだけの人が学校で行われた避難訓練を、明日は我が身の思いで実践していただろう。この震災が起こる前までは・・・
人間だから、ある程度慣れというものは仕方のないことなのかもしれない。でも、ある海外メディアが「自然災害に強い日本だからこの程度の被害で済んだ!」と豪語していたが、私たちは、自然災害に備え慣れすぎた為に、これ程大きな被害に及んでしまった、ともとれる。
人間だから、ある程度慣れというものは仕方のないことなのかもしれない。でも、ある海外メディアが「自然災害に強い日本だからこの程度の被害で済んだ!」と豪語していたが、私たちは、自然災害に備え慣れすぎた為に、これ程大きな被害に及んでしまった、ともとれる。
「避難」ということに関してもう1つ考えさせられたことは、自分の命は自分で守る自己防衛に対する意識の有無だ。亡くなられた多くの方々は、家族の安否を確認しに帰宅するなどして、その先で津波に飲まれてしまったという。これは、日頃どれだけ家族間で単独でもきちんと安全に避難し、家族全員が無事に合流出来るまでのマニュアルのようなものを作り、話し合うことが重要かということを痛感した。自分の為に無駄死に・・・と悔やんでも悔やみきれない最悪の結果を回避する為にも、自分の身は自分で守るという強い意志を持つことが大切だ。
南三陸町の防災庁舎に、防災無線で避難を呼びかけ続け、津波の犠牲となった町職員の遠藤未希さんという勇敢な女性がいた。
彼女の死に対して、体を張って町民を守った。命をかけて職責を全うしたと讃える記事や番組を何度か目にした。思いやりの心を伝える為に、彼女が公立学校の道徳の教材に載ることが決まったらしい。この方は間違いなくそれに値する行いをしたし、評価されるべき人だ。ただ、「人の為に死ぬことが美しい」ということをクローズアップして教え伝えていくことには納得出来ない。彼女はまさか自分が死ぬとは津波が庁舎を直撃する直前までは思いもしなかっただろうし、間違いなく生きたかったはずだ。そしてふと思う。もしも彼女が呼びかけを途中で中断し、他の職員達と一斉避難をしていて無事であったらば、、、任務を投捨て、町民を見殺しにした、なんてことを言い出す人がいたかもしれない。
どんなに危険な任務を任された人であれ、落として良い命など1つも無いはずだ。何を置いても第一優先となるのは人命であって、例えそれが自衛隊や警察官であっても、彼らの安全は出来る限り堅く守られなければならないと思う。未希さんの死から学ぶべきことは、思いやりだけではなく、市民を守る立場として災害時に第一線で動く人たちが命を落とさずに済む、スムーズな避難方法のあり方や、助かった後に理不尽な思いをさせない為の周囲の気遣いや、人としての優しさも含まれるのではないか。
長くなってしまったので、この辺で筆を置く、というか手を止めることにする。
本「遺体」については殆ど触れることが出来なかったが、実際に惨状と化した遺体安置所で、ご遺体に優しく語りかけながら、安置所が閉鎖されるまでの数ヶ月間をボランティアとして働いていた方や、何十体何百体のご遺体を前に、溢れ出る涙をこらえ、かすれる声でお経を読み続けた住職の方。そして身元不明のご遺体が、きちんと家族の元へ帰ることが出来る様にと、凍える体育館で検歯作業を続けた歯科医の方。そして他にも、ご遺体を探し、見つけ出しては自らの手で安置所へ搬送する精神的にも大きな苦痛を伴う作業を、普段は一般市民として本業に就いている消防団の方々が協力し、遺体捜索に尽力していたという事実。人員が不足していたあの状況では致し方ないことだったとは思うが、次から次に見つかる知り合いの亡骸を何体も運んだり、顔に付着した泥を拭い、体をさすって筋肉をほぐしてあげたり・・・相当の覚悟と強い気持ちを持ち合わさなければ、一瞬で心が折れてしまうことばかりだ。このような方々から学ぶべきこともまた、沢山ある。
この2冊の本を読み終えて、東日本大震災で亡くなられた方々の死を1人も無駄にしてはいけないと強く思った。なぜなら、2万人の犠牲者と同じ位の数の、今後私たちが早急に見直さなければいけない課題があるからだ。
「頑張ろう日本、頑張ろう東北」のスローガンが、その言葉の先に横たわる数々の問題から直視することを阻む言葉ではあってほしくない。この言葉を掲げて東北の復興を心から願うのならば、責任と、使命感を持って行動に移さなければいけない。
今の私に出来ることは小さいが、それがいつか必ず大きな意味を成せるように、継続し、行動していくだけだ。

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